2013年3月17日日曜日

悟りの種類

人から理解されれば、善人と言われるが、

人から理解されなければ、悪人と言われる。


世の中の善悪のほとんどは、
そのように不明確な条件によって決定されている。
実にいい加減なものだと、つくづく思わされる。

強いサンヤ―シヨガ(サン二ヤシヨガ)を持ち、
また同時に
高い志を持っているような人は、
特によく周囲から誤解されているように見える。

例えば職場において、
仕事の清濁の、濁の面を遂行する。
しばしば本人自身は、
「濁なくしては成り立たない清がある」というクールな現実を知っている(悟っている)が、
しかし世間は、決してこれを正義とは言わない。

それに対して、
世間から正義と称されやすいのが
9室に由来する徳である。

9室が司っている良識や悟りは、
12室の徳に比べると
ものごとの内面よりも、もっぱら外面(体裁)を整えたものであり、
12室やサンヤ―シヨガが表すような深い悟りは全く得ていない感じがするが、
そのぶん世間一般には理解しやすい。

私が9室(および9室的な悟り)を不完全だと思う理由も、そこにある。

そもそも、
もし9室に本当に徳があり、そこが理想郷だというならば、
その後になぜわざわざ10室や11室が続くのかと問いたい。

結局のところ、
9室に強く由来する悟りは「良い感じの人」を創出するが、
12室やサンヤ―シに由来する悟りは
しばしば「とっつきにくくて理解不能な人」を創出する。

難しい世の中だな。

今日ひょんな事で、
某国際企業の、創世期の裏話を聞かされた。
典型的な濁の裏話だったが、なるほどなと思わされる話だった。
そこでさっそく、
その企業において濁面を担当していた人物のホロスコープを見てみると、
強烈なサンヤ―シヨガ持ちである。
なるほど、と、また深く考えさせられた。
かつて多くの雇用と夢を送りだしてきた、日本の大企業である。

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